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宮城野区
ページID:60382
更新日:2023年9月29日
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原町地区は宮城野区の南西部に位置し、歴史上に現れてくるのは平安・奈良時代の『古今和歌集』『源氏物語』の歌枕「宮城野」「つつじの岡」などです。古来より東北地方を南北に走る幹線道路通過地区とも伝えられてきました。
そんな地元の歴史にも触れながら次代を担う子供たちへの地域の理解と伝承を考え、地元で広く使われてきた道路に愛称を命名したいとの要望を受け、令和5年9月に5路線命名しました。
番号※1 | 道路愛称 | よみ | 由来 |
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41 | 原町本通り | はらのまちほんどおり | 明治22年に苦竹村・南目村・小田原村が合併して宮城郡原町が誕生。当時、宮城郡の中央部に位置し、郡役所や原町役場が置かれた。藩政時代より、この通りは鉄砲町から東街道(塩釜街道)に通じる官道であり、石巻・塩釜方面からの水産物や物資(米)が運ばれ、原町が物流や宿場町として栄えたことから、原町本通りと言われている |
42 | 大源横丁 | だいげんよこちょう | 原町出身で仙台屈指の呉服商、大内源太右衛門の篤志により、明治38年に道が開通したことが名称の由来 |
43 | 岩井横丁 | いわいよこちょう | 原町本通りから原町小学校の入口にかけてあった、酒造店岩井家が名称の由来 |
44 | 佐々木横丁 | ささきよこちょう | 現原町プラザに大きな屋敷を構えていた、大地主の佐々木家が名称の由来 |
45 | 松原街道 | まつばらかいどう | 藩政時代に仙台市中心部と塩釜神社を結んだ塩釜街道の一部で、特に原町本通りから平田橋を経て現案内住宅周辺にかけて松並木が大変きれいだったため、松原街道と言われていた |
※1:全区の通し番号
路線図:原町本通り、大源横丁、岩井横丁、佐々木横丁、松原街道(番号41~45)(PDF:1,211KB)
宮城野区では平成9年3月に「宮城の萩大通り」を命名して以来、25年振りに仙台駅東地区において新たに道路愛称を命名しました。
城下町の歴史を感じさせる街並みや町名が多くあった仙台駅東地区において、土地区画整理事業により新たな町割りや町名へ変更となったため、地域そして身近な道路への愛着心向上を図る目的で道路に愛称を命名したいと要望を受け、令和4年3月に4路線命名しました。
番号※1 | 道路愛称 | よみ | 由来 |
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37 | 鉄砲町通り | てっぽうまちどおり | 仙台城下の東部、二十人町の北裏にあり、足軽鉄砲組が配置されていたことが「鉄砲町」という町名の由来 |
38 | 二十人町通り | にじゅうにんまちどおり | 二十人衆と呼ばれた足軽鉄砲組が置かれたことが「二十人町」という町名の由来 |
39 | 名掛丁通り | なかけちょうどおり | 御名懸組の組士屋敷が置かれたことが「名掛丁」という町名の由来 |
40 | 車町通り | くるままちどおり | 車輪や荷車の製造・修理を行う車大工が住まう大工町が置かれたこと、また、かつて町内にあった東秀院の境内に車地蔵が祭られていたことが「車町」という町名の由来 |
※1:全区の通し番号
路線図:鉄砲町通り、二十人町通り、名掛丁通り、車町通り(番号37~40)(PDF:866KB)
番号※1 | 道路愛称 | よみ | 対象路線 | 決定年月 |
---|---|---|---|---|
9 | 宮城野通 | みやぎのどおり | 市道宮城野通線 | 昭和57年5月 |
13 | 卸町通 | おろしまちどおり | 市道原町岡田(その1)線・同(その2)線※2・同(その3)線※2 | 昭和58年12月 |
16 | 宮城の萩大通り | みやぎのはぎおおどおり | 市道台原南小泉(その7)線※2、市道舘西町線の一部 | 平成9年3月 |
※1:全区の通し番号
※2:若林区の市道
路線図:宮城野通(市内中心部番号1~12)(PDF:196KB)
卸町通(番号13)(PDF:229KB)
宮城の萩大通り(番号16)(PDF:517KB)
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