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更新日:2022年3月24日
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政宗は城下町をつくるために、計画的に町割を行いました。商店街は幹線道路ぞいに、職人たちは町外れか町裏に置かれました。城の近くには身分の高い侍の屋敷が建ち並び、城下の周辺には寺院・神社・足軽の屋敷がありました。その他はほとんど侍屋敷でした。17世紀末ごろ、城下は最盛期を迎え、人口は6万人となりました。そのうち4万人が侍や足軽・職人で、2万人が町人・寺社関係でした。
これは江戸時代末期の1862(文久2)年に描かれた城下絵図です。向かって右下が仙台城です。城から広瀬川にかかる大橋を渡り東にのびる大きな道(大町通り)と、それに直行する大きな道(奥州街道)が城下の幹線道路です。二つの道が直行するところが芭蕉の辻(ばしょうのつじ)で、城下の中心地です。人通りがたいへん多いこの場所には人々に法令などをしっかり知らせるための高札場(こうさつば)が設置されているのがわかります。この高札場は博物館内に復元されています。
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