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更新日:2024年3月26日
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2003年、三の丸跡を含む仙台城跡が国の史跡に指定されました。
史跡公園として仙台城の遺構が保存活用されているほか、博物館のまわりには記念碑や彫刻なども設置されています。
また、春は桜、夏はホトトギス、秋は白萩など、季節折々の花鳥が目や耳を楽しませてくれます。
博物館の冬景色
仙臺緑彩館の開館に合わせて、以下のとおり移設・移築されました。
はせくらつねながのひ
伊達政宗(1567-1636)の命で、スペイン・ローマに渡った支倉常長(1570-1621)。1615年にはサン・ピエトロ宮でローマ教皇パウロ五世(1552-1621)に謁見している。その様子を表したもの。
あべじろうのひ
「白雲の行方を問はむ秋の空 次郎」(碑文)
哲学者の阿部次郎(1883-1959)は、東北帝大教授として美学を講じた。碑の裏には青春の書として多くの若者の支持を得た「三太郎の日記」の一節が記されている。
はやししへいきねんひ
林子平(1738-1793)は江戸時代後期に「海国兵談」や「三国通覧図説」を著し、外国の事情と日本の海防の必要性をいち早く説いた。1968年小笠原群島日本返還にちなみ建立。阿部正基作。
あずまとうようのふでづか
東東洋(1755-1839)は江戸時代後期の仙台を代表する画家の一人である。この筆塚には「恭封廃筆」(恭しく廃筆を封ず)の語と東洋の号「白鹿園」が刻まれる。1999年に市民から仙台市に寄贈されたもの。
ろじんのひ
中国文学の父で思想家でもある魯迅(1881-1936)は、青年時代の1年半を医学生として仙台市で過ごした。祖国の危機を知り、民族の魂を救うことが急務であるとして、この地で医学から文学へと志を転換した。晩年の魯迅の横顔を表したレリーフは翁朝盛作。
ろじんぞう
2001年に魯迅生誕の地である中国浙江省紹興市から、生誕120年を記念して贈られたもの。
てい
「仙台市彫刻のあるまちづくり」事業の「杜の都の彫刻」として設置された彫刻。青葉山公園内の国際センター西側には、同事業で設置された彫刻「三世代」がある。藤原吉志子作。
むげんのきせき
五色沼は日本のフィギュアスケート発祥の地とされている。明治の中頃に外国から伝えられ、1931年にはここで全日本選手権フィギュアスケート競技も開かれている。翁ひろみ作。
ぐんば・ぐんようどうぶつしょうちゅうとう
日清戦争(1894~95)から日中戦争(1937~45)最中まで徴用された軍馬と軍用動物の功労を顕彰するために追廻練兵場に建立された彰忠塔。
しらはぎとあきかわいし
伊達政宗が武蔵国の大悲願寺に咲く美しい白萩を所望したという縁で、1973年に古いきずなと友好のしるしに当時の東京都五日市町(現在のあきる野市)から仙台市に贈られたもの。
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