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更新日:2025年1月30日
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11月17日(日曜)に、仙台市立六郷小学校の体育館において「六郷くろしお太鼓応援隊」の皆さんと懇談しました。懇談の後には、練習の様子を見学しました。
東六郷小学校における「特色のある教育活動」の一環として、平成7年より「くろしお太鼓」の取り組みが進められ、上級生から下級生へと代々大切に引き継がれてきましたが、東日本大震災の津波被害により、平成29年度に東六郷小学校が閉校となり、「くろしお太鼓」は六郷小学校へ引き継がれました。
六郷くろしお太鼓応援隊は、「くろしお太鼓」の継承と児童の活動のサポートを目的として令和2年度に六郷市民センターの支援により発足し、令和6年度より市民センターの支援を受けない自主的な活動団体として、地域住民同士の交流と地域伝統の継承などを目的に、約35名(大人15名、子ども20名)で活動しています。
活動内容は、市民センターやコミュニティ・センターにおける各種行事で演奏をしているほか、毎月1回、日曜日に1時間程度、練習をしています。
懇談に参加された方
代表 根本 暁生(ねもと・あきお)氏
技術顧問 鹿井 光彦(かのい・みつひこ)氏
副代表 那須 幸恵(なす・ゆきえ)氏
副代表 森 一敏(もり・かずとし)氏
連絡調整担当 佐藤 みえ(さとう・みえ)氏
市長
皆さんこんにちは。本日は、六郷くろしお太鼓応援隊の皆さんに、お邪魔させていただきました。
東六郷小学校で取り組みが進められた「くろしお太鼓」の継承や、地域住民同士の交流などを目的として集まった皆さまとなっていますが、活動の様子などをぜひお聞かせいただきたいと思います。
はじめに、代表の根本さんから自己紹介をお願いします。
根本さん
六郷くろしお太鼓応援隊で、代表を務めます根本と申します。
職場だった海岸公園冒険広場の活動などで、震災前から東六郷地区との関わりがあり、震災発生後も遊び場活動を通して東六郷小学校の子どもたちと接していました。
東六郷小学校からくろしお太鼓を引き継いだ六郷小学校より、学校外からのさまざまな太鼓演奏の要請に応えるには地域の支援が必要との相談をいただくなか、六郷市民センターの事業としての応援隊が立ち上がるということになったので、その際に参加し、初めて太鼓を叩きました。
くろしお太鼓応援隊が結成された当初はメンバーの1人でしたが、当初の実質的な代表の大内文春さんがその他の地域団体の役職を担っていて多忙ということで、その後、わたしが代表を頼まれて引き受けました。
元々、若林区河原町に住んでいましたが、長男が小学校に入学する前の平成28年から六郷に住んでいます。六郷地区でも、西側の住宅地に住んでいる方で東部地区のことを知らない方は多いし、震災についても温度差があるように感じていて、震災のことや東部地区の魅力など伝えていきたいと思いながら、六郷小学校PTAの役員なども務めてきました。
森さん
副代表の森と申します。
わたしは六郷地域ではあるけれど学校区が違う沖野地区に住んでいて、六郷地区と沖野地区を繋ぐためにくろしお太鼓応援隊に参加しています。
沖野地区ではおやじの会、体育振興会の事務長などのほか、色んなことをしています。東京オリンピックの聖火ランナーとして、仙台市陸上競技場での第一走者を務めました。
私は基本裏方でして、舞台に立つ時は私が代理人をしているヒーロー見習い「お米の妖精お米マスク」にお願いしています。
地域を盛り上げるために、六郷地区を中心に老人ホームでの餅つきや、小学校など各所のイベントで活動をしています。また若林区南小泉にある猫塚古墳でのねこまつり実行委員もしています。
根本暁生さん 森一敏さん
佐藤さん
連絡調整を担当している佐藤と申します。夫と息子が六郷小学校、六郷中学校の卒業生です。
くろしお太鼓応援隊に入ったきっかけですが、元々太鼓を叩きたいと思っていて、地元で活動している団体を探していたところ、くろしお太鼓応援隊が立ち上がることを知り、発足した当初から参加しています。
以前のことですが、東六郷小学校の子どもたちの太鼓の演奏がものすごく良いものであったといつまでも記憶に残っていました。応援隊の活動を通して、地域の皆さんに子どもたちが太鼓をたたく姿を見せ続けることができたらいいなと思っています。
那須さん
副代表の那須と申します。六郷小学校と六郷中学校のPTA本部の役員もしています。
当初、子どもがくろしお太鼓応援隊に入り、わたしは保護者としての付き添いでしたが、気が付いたら自分も太鼓を叩いていたという感じです。
太鼓は2種類ありますが、小さい方の締太鼓は、お母さんたちが担当していますので、お母さんたちが叩く姿もぜひ見てほしいと思います。
鹿井さん
わたしは元教員で、平成7、8年頃に東六郷小学校に赴任し、その時は6年ほど勤務しました。その後、何校かの転勤を経て、震災時に六郷小学校に勤務していました。
その六郷小学校の勤務時に東六郷小学校を助けたいと思い、志願して東六郷小学校に転勤しましたが、東六郷小学校は閉校、六郷小学校との統合が既定路線で、閉校に伴い、児童とともに六郷小学校に戻ってきました。そうしたような経緯で、トータルで17、8年でしょうか。自身が中心となって太鼓の指導した時期自体は短いものの、東六郷地区と六郷地区に関わってきました。
このような経緯があり、六郷市民センターの館長から、くろしお太鼓応援隊を立ち上げるので手伝ってほしいと声を掛けられ、協力させていただいていて現在に至っています。
佐藤みえさん 那須幸恵さん 鹿井光彦さん
市長
東六郷小学校において、上級生から下級生へ、くろしお太鼓が大切に引き継がれたものと承知しています。東六郷小学校が閉校になる際、大切にされてきたくろしお太鼓がどうなるのかと思ったと思いますが、くろしお太鼓応援隊が発足したのはいつ頃でしょうか。
根本さん
平成29年に六郷小学校と東六郷小学校が統合しましたが、その3年後の令和2年の秋です。
市長
それほど年月が、経過していないということでしょうか。
根本さん
そうです。
市長
東六郷小学校の伝統を何とかつなげていきたいということで、くろしお太鼓応援隊を発足させたということでしょうか。
根本さん
統合後の六郷小学校において、東六郷小学校で行っていた活動を受け継いでいくという方針が示され、毎年の学習発表会で、5年生の児童がくろしお太鼓の演奏をしています。
しかし、学校においても働き方改革などがあり、授業で学校としての取り組みは行うものの、地域のまつりなど要請の全てに先生が引率していくことが困難な状況です。さらにコロナ禍で、色々なイベント等がなくなっていく状況でもありました。
くろしお太鼓が地域に根付くためには地域の応援が必要との議論がされるようになり、市民センターの事業として発足しました。
市長
メンバーは、全部で何名でしょうか。
根本さん
大人が十数名、子どもが小学生から大学生まで全部入れると20名弱です。毎回、練習に来るのは15名から20名くらいになります。
森さん
子どもの参加メンバーのうち一番上の学年は、震災当時に東六郷小学校の2年生だった女の子3名です。現在は高校を卒業して大学に入り、学業が忙しくなったので、参加することが出来なくなっていますが、そういう子がいてくれて、周りが手本にしたので、とても覚えやすかったです。
市長
応援隊の隊員というのは、大人の皆さんのことをいうのでしょうか。
根本さん
子どもと大人のすべて、六郷くろしお太鼓応援隊としています。
市長
大人だけではないということで、認識を新たにしました。
根本さん
応援隊がスタートした当初は、子どもたちが太鼓を叩き、大人はサポートに回るようなイメージもありましたが、せっかくなので、子どもも大人も一緒になって、太鼓を叩こうということになりました。
今は、くろしお太鼓応援隊として地域の行事に呼ばれることもあるほか、地域の行事に六郷小学校に太鼓の演奏の声がかかっても、学校が募集した児童の数では足らないこともあるので、学校で募集した児童とくろしお太鼓応援隊とのコラボレーションの形で出演することもあります。
市長
くろしお太鼓という東六郷小学校にあった文化を応援している皆さんたちですが、そもそもこのくろしお太鼓というものは、東六郷小学校において、どういった歴史があるのでしょうか。
鹿井さん
元々は、東六郷小学校の太鼓クラブとしてスタートし、月1回か2回のクラブ部活動として始まったことが全校活動に発展し、毎週、全校で練習に取り組むようになりました。
当時の演目は、東六郷舞太鼓と開宴太鼓の2曲でしたが、平成10年、6年生の担任の先生が音楽に堪能で、6年生の子どもたちから提案してもらったリズムを1曲にまとめたものが3曲目のくろしお太鼓という演目でした。
しかし、震災を経て児童数も減り、3曲を演奏するのが難しくなりました。このことから、くろしお太鼓と東六郷舞太鼓を合体させて、演目を新くろしお舞太鼓としましたが、それが何となくチームの名称のように、くろしお太鼓として地域に根付いたと思っています。
東六郷小学校時代は、学校名のみ、東六郷小学校の皆さんですと紹介されていましたので、特別に「くろしお太鼓」と呼ばれていなかったと考えています。
市長
メンバーも流動的で幅広いということでしたが、参加者の募集はどのようにされていますか。
森さん
最近、チラシを作り、力を入れていくようになりました。
根本さん
これまでも参加者の募集方法などの議論をしていましたが、先月あらためて力を入れていくことを確認し、那須さんが素敵なチラシを作ってくれたところでした。
那須さん
市民センターさんへのお任せの期間が長く、新たなメンバーの募集は課題でした。市民センターに任せたままにするのは、メンバーが流動的になる原因とも考えています。
森さん
小学校を卒業すると参加できなくなる子どももいるので、あらたに下の子を増やす必要があると思っています。先日の六郷市民まつりにおいて募集をしたところ、さっそく反響があり、初めて見学に来る子がいます。
市長
募集活動も成功しているということでしょうか。
那須さん
六郷小学校の5年生が、毎年の学習発表会でくろしお太鼓を演奏しますが、そうしたことがきっかけになって、六郷地区全体に浸透していければいいと思っています。
森さん
地域の決まりはないので、伝統を守っていければいいと思っています。
根本さん
本日の懇談会には出席していませんが、東六郷小学校の最後のPTA会長を務めた六郷くおしお太鼓応援隊の副代表の大内文春さんも、かつて東六郷小学校で叩いていた子どもたちを呼ぶことができればいいと、常々そのようなことを言っています。
市長
演奏や発表の場は、主にどこになるのでしょうか。
佐藤さん
地域のイベントなどのオープニングとして、六郷東部夏まつり、六郷東部ふるさと交流際、六郷市民まつり、ふるさとに集う鎮魂の花火で演奏しています。
令和6年11月30日(土曜)には、せんだい3.11メモリアル交流館主催のイベントに参加しますし、年間を通して地域のイベントで演奏をしています。
根本さん
元々六郷東部に住んでいた方たちにとって、太鼓の演奏は特に喜んでもらえるものであると思っています。
市長
震災により東六郷小学校が閉校することになりましたが、震災の事実なども、くろしお太鼓の活動に秘められているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
根本さん
これまで東六郷小学校の児童や地域に関わってきて、東六郷小学校が地域に愛されている学校だと思いました。地域の中で遊んで暮らしている子どもたちも多く、そのことがすごくいいと思っていました。
東六郷小学校が閉校し、六郷小学校と統合することが決まった時には残念だと思いましたが、東六郷地区や東六郷小学校の良さは今も残っているものなので、しっかりと伝えていきたいと思っています。太鼓自体は、まずは楽しく演奏できればというものではあるのですが、太鼓を通して東六郷地区を知ってもらう、来てもらうきっかけにしていけたらと思っています。
鹿井さん
震災後、東六郷小学校は六郷中学校に間借りしていましたが、震災で太鼓も流されてしまい、当初の半年間は太鼓の音が聞こえませんでした。
その後、義援金などの支援を受けて太鼓の数も揃ってきて、その年の秋頃に太鼓の音が聞こえてきて、地域のシンボルが戻ってきたと思いました。東六郷地区に住んでいた方なども、同じように感じたと思います。発災後しばらく、六郷中学校や隣のJA六郷支店には被災した東六郷の方々が避難生活をされていました。避難所閉鎖後も近くに仮の住まいを持つ方が多かったのですが、その太鼓の音をどんな気持ちで聞いておられたのか、私よりずっと心に響いていたのではないかと、そう思っていました。
以前は東六郷地区の太鼓でしたが、今後は統合で引き継いだ六郷地区の太鼓として根付いてくれたらうれしいです。
市長
実際に子どもたちに、震災の事実も伝えていかなければなりません。太鼓の持つ力を使いながらということもあるでしょうか。
根本さん
震災の経験など、くろしお太鼓応援隊の活動を通してどこまで伝えることができているかというと、それはまだまだ出来ていない感じがします。これまでは、東六郷小学校の卒業生、元在校生がくろしお太鼓応援隊の活動の中心を担ってきましたが、進学等もあってなかなか参加できなくなり、このままでは、元は東六郷小学校で行っていたものだということも伝わりにくくなってしまうかもしれません。そうならないように、しっかりと伝えていきたいと思います。
森さん
東六郷コミュニティ・センターでのイベントにも参加しますが、東六郷コミュニティ・センターには慰霊碑があり、大人は慰霊碑で手を合わせます。子どもたちは太鼓と遊びですが、大人は犠牲者に弔う、そうしたことがセットになっていて、震災の事実が自然と伝わるようなこともあると思います。
市長
地域的に3世代の家族も多いと思いますが、核家族化も進んでいます。くろしお太鼓応援隊は子どもと大人が一緒で、さらに多年代で活動していることに大きな効果があるのではないでしょうか。
那須さん
小さい子は、森さんのお米マスクが大好きです。太鼓をたたく際も、お米マスクの方に寄っていきます。
森さん
わたしは子どもが大好きで、子どもと大人が一緒に同じことをするのがいいと思っています。スポーツ少年団だと、監督と選手で上下関係のようになりますが、くろしお太鼓応援隊は、子どもと大人が一緒になって一つのものを作り上げます。
マスクをかぶると子どもが寄ってきて、よくいじられます。根本代表の娘さんとも、コミュニケーションが取れています。
根本さん
不登校の子に、地域のメンバーや市民センター職員がくろしお太鼓応援隊に来ないかと声をかけてくれ、それがきっかけで体育館に足を運んでくれることもありました。
子どもから大人までいろいろな人が集まる太鼓の活動を通して、「友達のお母さん」「学校の先生」といった立場、役割など越えた出会い方もでき、子どもの視野も広がったりしているのではないかと思います。
地域の中にこうした集まりの場があることは、居場所のない子どもが、ちょっとほっとする場所というか、そのような場になる可能性も持っていると考えています。
森さん
家庭内の親と子の関係だけでなく、くろしお太鼓に参加することで、色々な周りの人たちと交流して、斜めの関係などもできるのが良いと思います。
佐藤さん
いつもすごいと思うのは、東六郷小学校の卒業生たちで、練習もせずイベントにぶっつけ本番で入ってくれる時があるのですが、常にびしっと決めます。動きが体に染みついていて、叩く音も違うし、声も出ていて素晴らしいと思っています。
ゆくゆくは六郷小学校の子どもたちも、下の子どもたちに格好のいい姿を見せられるようになればいいと思っています。
森さん
東六郷小学校の卒業生たちの完成度には驚かされます。ブランクをものともせず、我々を引っ張ってくれていました。
鹿井さん
東六郷小学校での6年間で、積み重ねてきた自信もあると考えます。小学校1年生の頃から先輩の姿を見て追いかけて、自分が6年生になって完成させたものが身についているのだと思います。
那須さん
わたしは年齢的に曲を覚えるのに時間がかかりますが、子どもたちは先生の指導を何度か受けただけで、完ぺきにできるようになります。子どものパワーは力強く、新たなメンバーが入って、私たちは隅で支援するようになればいいと思っています。
市長
本市では子育てが楽しいまちを目指して、取り組みを進めていますが、子どもの遊びも大切だと思っていまして、色々とあるものを活用しながら、遊びを通した学びのようなものをさらに充実できたらいいと考えています。仙台には有形、無形の資源が多くあると思っていますが、太鼓を通した遊びに関する考え方などをお伺いします。
鹿井さん
学校にいると、どうしても横のつながりになります。くろしお太鼓応援隊は同年代だけでなく、大人、初老の人間がいて、子どもたちが伸び伸びと過ごしています。
特に休憩時間など、体育館の中を、制約を受けず自由に走り回っています。普段、見ることがないマスクを被った人もいるし、そうした面も良いと思います。
那須さん
子どもがスポーツ少年団に入っておらず、縦社会の経験が少ないです。実家も遠く、祖父母も近くにおらず、帰省するにしても年に何回も行くことが出来ません。
そうしたような事情からも、くろしお太鼓応援隊の活動に参加することがいいことだと思っています。負担も少ないので、月1回でなく2回でもいいと思います。
佐藤さん
くろしお太鼓応援隊は誰でもウェルカムなので、体を動かしたくてうずうずしている子どもたちなど、太鼓を叩いて体育館を走り回りストレス発散していけばいいと思っています。太鼓を叩くのも運動になるし、スカッとします。体を動かしたいと思っている子どもたちが、どんどん入ればいいと思います。
森さん
子どもたちにとって、太鼓自体は遊びの延長と思っているのかもしれません。しかし、本番もあり、人前で演奏をすることもあります。リハーサルでは合わないけれども、本番でうまくいくこともあり、そうしたことも経験だと思います。
わたしは、フットサルサークルをやっていて、お金も取らず、自由に参加したい子どもが参加しています。このくろしお太鼓応援隊と同じような考え方です。
今の時代、校庭が自由に使えず、公園もボール遊びができないので、遊ぶ場所がありません。また、家庭の事情で、スポーツ少年団に入るのが困難というような子どももいます。
また、太鼓の持つパワーは、他の楽器と違うと考えます。リズム感が大事で、子どもにとってもリズム感を鍛えるのに役立っていると思います。
根本さん
職業柄、普段から子どもの遊びの環境のことを考えています。
六郷地域、とりわけ東部には田んぼも畑もあり、自然豊かな環境、暮らしが身近にあります。那須さんのお子さんは、いつも釣りをしたりして豊かな環境を満喫していますが、今はその環境の中でもなかなか遊べていない子も増えています。
ここは、もともと身近な自然と暮らしが結びついている地域で、子どもも遊びを通して、身近な地域の良さに気づき、触れ、その後の人生の糧になるような豊かな経験をしていました。そんな子が増えたらと思っています。太鼓の活動もきっかけに、そうしたことにもつながっていったらいいなと妄想が膨らみます。
懇談の様子
市長
太鼓、道具、Tシャツなどのほか、運営経費もかかると思いますが、どのようにしていますか。
根本さん
発足当初は、六郷市民センターの事業として運営面はほぼセンター職員が担ってくださっていましたが、この春からはサークル化ということで基本的に独立した運営となりました。道具代など、経費をどのようにしていくのかなどが、今後の課題になります。太鼓や撥などのほか、東六郷小学校から六郷小学校に引き継がれた、立派な法被などもあります。そういった物の対処も含めて、これからの課題になると考えています。
森さん
独立したことにより、予算を考える必要が出てきました。
鹿井さん
太鼓も大分劣化していて、革が破れた場合、学校の予算では難しいといわれています。1組2,000円する撥も大分痛んでいて、叩いていて折れたりすることもあります。
法被は、先週の六郷市民まつりで十何年ぶりに日の目を見ましたが、使えばクリーニング代もかかります。本染めした法被なので、クリーニング代も高いです。そのあたり、市民センターなどに相談をして、予算化していければいいと思っています。
市長
活動の中でどういうふうに支援ができるものなのか、あるいは皆さんにもう少し知恵を絞ってもらうことなのか、今後の検討事項だと思いますが、このように歴史あるものをつなげていくためにはそれなりに費用も掛かるので、今後考えていく必要があると思うところです。
根本さん
ほとんどは学校が所有・管理する物なので、管理できるような予算が市から学校に対してしっかりとつけていただけるということも大事だと思っています。
市長
どこかのイベント会場に連れていくにしても、移動時の車両の確保や自動車の保険をどうするかなど、色々なことがあり、いいことだけではないと思います。くろしお太鼓応援隊自体も、何らかの応援を受けるなどし、そのうえで、安心してこの貴重な資源を繋いでいくことができると考えます。
根本さん
太鼓が流されてしまった震災発生直後、六郷地区町内会連合会から太鼓が寄付されたと聞いています。昨年の六郷小学校150周年の記念事業で地域の方が寄せてくださった寄付・協賛から購入された太鼓もあります。本当にありがたいことです。
市長
最後に今後の目標、将来の理想像など、一言ずつお願いします。
鹿井さん
10年、あるいは15年先かも知れませんが、くろしお太鼓応援隊の中で子どもたちが下の世代に教えるようになって、わたしはだんだん身を引いて、フェードアウトしても成り立つようになればいいと考えています。
那須さん
子どもたちを増やし、たくさんの子どもが演奏をする隅で、大人がちょっとだけ叩ければいいと思います。
佐藤さん
子どもたちの参加が増えればいいと思います。今は東六郷小学校の卒業生が学業で忙しくて参加できませんが、その子たちが戻ってきてくれて指導するというか、叩く姿を見せてしてほしいです。
森さん
佐藤さんと同じですが、東六郷小の卒業生が落ち着いたら、元に戻ってきて、太鼓を叩いてほしいと思います。くろしお太鼓、元は父母がやっていたのをその子どもたちが引き継ぎ、循環していけば最高だと思っていますし、それを目指しています。
根本さん
鹿井さんは将来自分が指導しなくてもと言いましたが、震災前に私が関わった子どもたちが今20代になっていて、イベントなどで会った際に、くろしお太鼓を懐かしいと言っていました。
くろしお応援隊を結成した子どもたちのさらに上の世代になりますが、今後はその方たちにも声をかけ、楽しんでもらったり指導してもらったり、地域を多世代で盛り上げていければいいと思っています。
市長
このくろしお太鼓は、地域の皆さまが、多世代で盛り上げている取り組みであると思っています。小さいお子さんたちが、同じように循環し地域の活力となり、くろしお太鼓を通してコミュニティをしっかりと守り、活性化していくという六郷地区での取り組みです。
本市のいたるところにこのような取り組みの輪が広がって、地域が多世代で元気につながって、盛り上がっていく。そういう仙台市になればいいと本日の話を伺って感じたところでした。
ぜひこの素晴らしい活動を、続けていければありがたいと感じます。本日は本当にありがとうございました。
練習の様子 市長が太鼓を叩く様子 記念撮影
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