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更新日:2016年9月20日
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監査委員でよく協議されて今回の結論になったと思いますので、監査委員のご意志を尊重したいと思います。
このような請求はいろいろな都市で大きく課題として取り上げられていると思いますが、個別外部監査で外部の方に監査をお願いするケースもあるようです。また、内部監査委員で行うケースもあるように承知しています。それは監査委員の判断でよろしいのではないかと思います。
これについては監査委員でお決めになることですので、特にご報告はいただいておりません。
不勉強で、その大臣の発言を私は全文を読んでいませんが、子ども手当に関しましては、少子化対策の一つとして具体的な金銭的な支援ということに一定の意味があるということは理解しています。
ただ、今後継続的に国が長期に出せる財源の確保の見通しが、いまだ十分であるとは思えませんし、さまざまな行政ニーズがある中で子ども手当だけが少子化対策のすべてではないだろうと思っています。自治体が提供するものも子育て支援の中にはありますし、実際的な金銭としての負担も、ある人にとっては有効性があるということも十分に分かりますので、それについてはもう少し自治体側の考えも含め、国でも議論があってもいいのではないかというのが私の今の時点での考えです。
井上ひさし先生は仙台市にとってとても大事な方なのですが、お亡くなりになられて特にということは今の時点ではありません。
井上ひさし先生とは何回かお話させていただいたこともあり、ご講演も数多く聞かせていただきました。また、井上先生のお芝居もいくつか拝見してきていますので、そういう意味では大事な方です。
私が一番印象に残るのは、いつも笑顔で、ユーモアがあり、また人生を応援するようなそういうメッセージに満ちた方だったと思います。
自分で言うのも何なんですが、私は今は縁のない眼鏡をかけていますが、少し前までは縁のある比較的丸い眼鏡をかけていたことがありまして、髪型もお河童頭のような型をしていました。今から20年ぐらい前には、よく「ひょっこりひょうたん島」の「ハカセ」に似ていると言われましたので、そういう意味でも井上ひさし先生には何かしら生みの親であるかのようなシンパシーを勝手に一方的に感じさせていただいていました。
井上ひさし先生はご承知のように、中学校の半ばから仙台に来られて東仙台中学校を卒業し、仙台一高を卒業されるまで4年間いらっしゃったわけですが、仙台で青春を過ごされたということに、とても大きな意味を持っていただいていたと思います。
仙台はよく「青春の街」と言われるわけですが、戦後の時期に「青葉繁れる」のような形で描いたように、青春の街仙台を代表する一人がひさし少年だったのかなと、私自身は思っています。青春の街仙台から羽ばたいていったたくさんの人の中で、稀有な文学的才能を発揮された一人の少年だったと思います。
平成22年4月13日 仙台市長 奥山 恵美子
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