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更新日:2022年3月24日
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仙台藩士林子平は「無禄厄介(むろくやっかい)」という待遇(たいぐう)で、給与もなく兄の世話を受けて生活していました。しかし、子平はこの身軽さを利用して自由に江戸や長崎に行き見聞を広めました。そしてその後、そこで得た新知識をもとに、『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』、『海国兵談(かいこくへいだん)』を著し、海防が急務であることを力説しました。しかし、鎖国(さこく)主義を守る幕府はいたずらに世間をまどわす行為(こうい)としてこれを取り締まり、版木(はんぎ)没収・出版の中止を命じ、子平を処罰しました。兄の家にちっ居となった子平は1793(寛政5)年6月21日、56才で行動的だったその生涯(しょうがい)を閉じました。
このあと幕府は相次ぐ異国船の渡来や開国と通商の要求などの対策にたいへん苦しむことになり、子平の考えが正しかったことを歴史が証明することになります。
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