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更新日:2022年3月24日
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幕府は全国を統一して支配する必要から、街道(かいどう)の整備に努めました。参勤交代や物資の輸送の道路としてばかりでなく、庶民(しょみん)の旅行道路としても発達しました。街道には宿駅が設けられていました。宿駅には公用旅行者のために人馬が常備されていました。また小荷物を運ぶ飛脚(ひきゃく)も置かれました。宿場の中心部には大名が宿泊する本陣・わき本陣や、一般の旅行者が宿泊する旅籠屋(はたごや)がありました。仙台城下の中央部を南北に貫く奥州街道の他に、そこから分かれて、岩沼・利府を通って石巻に至る石巻街道、作並から山形に至る作並街道などがあり、仙台は交通の中心地として栄えました。
参勤交代とは3代将軍徳川家光の時代に大名統制のために定められたもので、諸大名を一定期間江戸に住まわせるという制度です。これは原則として大名を1年交替で江戸と国もと(領地)に住まわせ、その妻子は江戸に常住させたものです。このことにより、妻子は大名の人質という形になり、また各藩にとって国もとと江戸の間を往来する費用の負担が大きく、経済力を弱めるねらいもありました。
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