ホーム > 市政情報 > 首都圏における仙台関連情報 > 東京に残る政宗公ゆかりの地 > 仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)跡(港区東新橋)
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更新日:2020年1月30日
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伊達政宗は江戸城に近い外桜田(千代田区日比谷公園)や愛宕下(港区新橋5・6丁目)などに仙台藩の江戸屋敷を構えていたことが、文献や絵図で知られています。
浜屋敷(港区東新橋)は、寛永18年(1641年)に幕府から与えられ、延宝4年(1676年)以降は幕末まで上屋敷として機能していました。ここは東京都により7年に及ぶ調査が行われ、御殿や庭園、舟入堀など仙台藩上屋敷跡の遺構群が発見されました。発見された庭園は、仙台藩の御用絵師菊田伊洲による絵図「江戸藩邸芝口上屋敷庭園図」にあるように、複数の池や遣り水、橋脚、石積みなどからなっていました。
現在、日本テレビ様のご協力により、上屋敷跡の説明サインを次の2ヶ所に設置しています。
屋敷の利用された時期や役割、屋敷を舞台とした歴史的エピソードなどが書かれています。
浜屋敷の表門では、元禄15年(1702年)12月15日、本所吉良邸への討ち入りから主君浅野匠頭長矩の墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士たちを仙台藩士が呼び止め、粥を振舞ったといわれています。このときの米は糒(ほしいい/粳米を蒸して乾燥させたもの)で、軍糧として作られていたもので、仙台糒として特に製造所を定めていた藩の特産品であったようです。
平成6年(1994年)に作成した東京事務所開設20周年記念誌で、「江戸に仙台を見る」と題し、当時行われていた「汐留遺跡」の発掘調査で判明した仙台藩上屋敷(芝口上屋敷)について記載しています。
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