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更新日:2020年1月30日
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京浜急行「青物横丁駅」から第一京浜を300メートルほど南に下った南品川3丁目の交差点を右に曲がると、大井町駅方面に向かう仙台坂トンネルがあり、その側道の登り坂が「くらやみ坂」と呼ばれる旧仙台坂です。
江戸時代、この坂の南側に仙台藩の品川下屋敷があったことから、この坂は仙台坂と呼ばれていました。しかし、現在は青物横丁に抜ける坂道が拡幅され交通量が増加したために、その坂の方を一般的には仙台坂と呼ぶようになり、こちらは旧仙台坂と言われるようになりました。
この旧仙台坂を上りきると、下屋敷の裏玄関に植えられていたと言われる樹齢300余年の「仙台坂のタブノキ(品川区指定天然記念物)」が現在でも威風堂々と鎮座しています。
そこからもう少し大井町駅方向に歩くと、付近の新しいマンション群とは明らかに雰囲気の異なる大正時代の古い建物「仙台味噌醸造所」が現れます。下屋敷があった江戸時代、郷土の味を欲する仙台藩士のため、仙台から輸送された大豆を使って仙台味噌を醸造するため屋敷内に作られたもので、約390年経った現在も仙台味噌の醸造・販売を行っています。入り口には現在の建物の建設当時から置かれている大きな味噌樽が展示されており目を引きます。お店では仙台味噌「五風十雨」が量り売りされており、まさに地元仙台で造られている仙台味噌と同様、たいへん風味豊かな逸品です。
長年、江戸の地で造り続けられてきた仙台味噌を食しながら、江戸詰めの仙台藩士の気分で、当時に思いを馳せるのも一興です。
旧仙台坂の南側に位置する「大井公園」にも、かつて仙台藩下屋敷があったことを示す石碑と説明板が設置されています。
仙台藩の江戸屋敷は、そのほとんどが明治維新後に政府に収公されましたが、品川下屋敷の一部のみが伊達伯爵邸となり、第二次世界大戦後まもなくまで存在しました。その後、仙台に縁のあるこの地は、奨学金支給事業を行っていた「仙台育英会」(平成19年(2007年)解散)が昭和26年(1951年)から昭和59年(1984年)まで東京都から借り受け、宮城から東京に進学した学生のための寮(五城寮)を建てていたことが、石碑に刻まれています。
坂の途中にある説明サイン
南品川交差点から見上げた旧仙台坂
大井町駅方面から見下ろした旧仙台坂
品川区の指定天然記念物になっている「仙台坂のタブノキ」
風情ある外観
かつて使用されていた大きな味噌樽
商標
「五風十雨(ごふうじゅうう)」とは、『五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る』の意から、気候が穏やかで順調なことで、豊作の兆しとされる。世の中が平穏無事であることの例え。
「仙台藩品川下屋敷跡(旧仙台坂)」フォトギャラリー(PDF:484KB)
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