泉区
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更新日:2019年8月2日
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古内主膳重広は、国分彦九郎盛重の第四子で盛重没落の後、根白石福沢館の高木家で暮らし後に古内主膳実綱に認められて、養子となりました。
馬術に長じ練達の士として名声高い重広は、政宗に御馬乗りとして召出され、後に2代忠宗が藩の最高執行機関である六奉行・五評定衆制を整備した際、奉行職を命じられました。
伊達政宗とは従兄弟にあたります。
重広は長身で容姿端正、剛直な性格で裁量があったといわれています。また、儒学者の内藤以貫や雲居(うんご)和尚と交流があり、経をきき法を問うて治国の道を学んだと伝えられています。万治元年(1658)忠宗公が没すると70歳で殉死しました。
この時、古内家家臣3名も殉死しており、大満寺敷地内には古内主膳重広と殉死した3人の家来の墓があります。
古内主膳重広の墓
古内主膳重広の墓 泉区小角字大満寺5
地下鉄泉中央駅発 市バス住吉台線住吉台行ほか大満寺前下車 徒歩5分
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