泉区
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更新日:2019年8月2日
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伊達正宗公が仙台へ改国した際に、福島県伊達郡より梅津氏がお供してきました。宝永4年(1707年)その梅津氏の先祖がもらい受けた氏神様を野村に遷座し、その後、根白石城主の子孫、白津勘之助が村民と議り野村の鎮守として、奉斎した神社です。祭神は、スサノオノミコトで牛頭大王と呼ばれていました。
牛頭天王は祗園精舎の守護神でしたが、神仏習合によって祇園天神となりました。
民間信仰では牛頭天王が旅の途中、親切に宿を貸し歓待してくれた蘇民将来の厚意を喜び、以後、蘇民将来の子孫は、病気から守ると約束してくれたことから、疫病防止の守護神として信仰されました。
牛頭天王には供物として胡瓜を捧げる習わしがあり、胡瓜は特別な作物とされ、長い間作ることも食べることしませんでしたが、村民が手にできるようになった明治後期、胡瓜の種子を供え、各戸の耕作、食用方を祈祷し、以後、耕作するようになりました。
須賀神社鳥居
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