泉区
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更新日:2019年8月2日
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櫻田良佐は、寛政9年(1797)仙台藩士櫻田景明の二男として生まれ、名を景廸、号を簡斎と称しました。櫻田欽斎に経史や兵法等を学び、後に仙台藩からの出向の形で下野佐野城主堀田正敦に仕え、その推挙により仙台藩の大藩士に抜擢されました。
54歳のとき火器を重視した極めて近代的な大成流兵学を創始し、60歳の時兵具奉行、翌年には講武所指南役に任ぜられ藩の軍制改革をめざしました。
この頃その名声を聞いて庄内の志士清川八朗と交友をもつと勤王思想に感化され、藩内勤王派の思想的指導者となりました。文久3年(1863)藩政批判の密書が露見し松山村の茂庭邸に5年間幽閉され、その間、赧然居士(たんぜんこし)と称して執筆活動に専念しました。
維新後は、敗戦処理や旧佐幕派の一掃に努め、さらに藩の議事局議長、勤政庁外事局長となりました。74歳に職を辞し根白石に隠棲し、明治9年80歳で没しました。明治41年には正5位を追贈されました。
櫻田良佐夫妻の墓は、根白石桐ヶ崎屋敷のご子孫の屋敷内にあります。
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