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更新日:2016年9月20日
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国内外から寄せられ続けている皆さまの温かい支援の数々。
私たちは、こうした支援を力に、ふるさと「杜の都・仙台」を取り戻し、今まで以上に、安全・安心で希望に満ちた仙台の街を作り上げていくため、ともに前へ歩んでいきます。
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〈種次地区/がれきに埋め尽くされたままの農地〉
〈藤塚地区/閖上大橋付近〉
〈藤塚地区/櫛の歯が抜けたようになった防潮林〉
〈井土地区/倒れた街路灯と流失した松〉
〈井土地区の水田を埋め尽くすがれき〉
〈荒浜小学校付近〉
〈荒浜地区/貞山運河.左手が海〉
〈荒浜地区/水田の底地がえぐられ海水と汚泥が堆積〉
〈新浜地区/被災したコンビニ〉
〈中野小学校〉
〈蒲生地区/被災した冷凍倉庫〉
指定避難所となっている市立学校の体育館には、想定を大きく超える避難者が集まり、備蓄の食料・水、毛布などすべてが底をついてしまいました。
民間事業所、私立学校、地域の集会所やコミュニティセンターなど、人が集まりやすい場所は、自然発生的に避難所となりました。
3月12日には、避難者数が10万人を超え、仙台市の人口の1割が避難所にいた計算になります。また、仙台市が把握できた避難所は、指定避難所を含め延べ300箇所を超えました。
<断水が続き給水にならぶ市民>
山形方面へ向う高速バスを待つ行列。JR仙台駅、仙台空港が閉鎖されたため、東京等へ向う人たちの多くは、山形を経由して目的地へと向いました。
ガソリンを求めて延々と続く車の列。
街中では渋滞を誘発し、路線バスや緊急車両の通行を妨げる状況に。ガソリン不足は3月一杯続きました。
ほとんどのお店が店を開けられないなか、営業しているスーパーなどには、開店前から長い行列ができました。
〈一番町で炊き出しをする飲食店〉
〈各家庭から仮置場に持ち込まれる震災ごみ〉
雪が降りしきる中で、破損した水道管の復旧工事が続けられました。市内の水道がほぼ復旧したのは、震災から18日後の3月29日でした。
〈ガス局港工場〉
〈開栓作業にあたる大阪ガスの職員〉
都市ガスは、ガス局仙台港工場が津波で甚大な被害を受けたことなどにより、供給エリアすべてで供給を停止しました。
日本ガス協会並びに全国の都市ガス事業者から派遣された復旧隊は、最大時には約3,700名にも上りました。震災から36日後の4月16日には、被害が甚大で作業ができないなどの一部の地区を除き、ほぼ全域でガス供給が再開しました。
地下鉄南北線は、3月14日に富沢~台原駅間で営業を再開しましたが、台原~泉中央駅間は橋脚や駅舎の一部に被害があり不通に。JR等の協力をいただき、復旧工事にあたった結果、4月29日をもって全線再開しました。
市営バスは、震災翌日の3月12日から特別ダイヤで運行し、4月18日から通常ダイヤでの運行を再開しました。
〈日本ガス協会並びに全国の都市ガス事業者から派遣されてきたガス復旧隊>
〈横浜市からの応援車両〉
〈神戸市からの第2次派遣隊〉
〈自衛隊による救援物資輸送〉
〈全国から次々届く救援物資〉
〈宮城野区港地区に隣接する多賀城市の石油コンビナート.火災が発生し3月15日に鎮火〉
〈宮城野区蒲生地区及び中野地区〉
〈宮城野区岡田地区〉
〈海岸部の防潮林は松林のほとんどが津波によって倒木、流出した.右手が太平洋〉
〈若林区荒浜地区〉
〈若林区井土地区〉
〈若林区藤塚地区/右手の井土浦が太平洋とつながってしまっている〉
市役所1階ロビーに掲示された新聞を見入る避難者。
市役所庁舎には出張者や帰宅困難者があふれ、数日間にわたり、ホールや会議室が開放されました。
宮城野区の仙台港周辺に集積している工場や倉庫も、津波によって甚大な被害を受けました。遠くに見えるのは、多賀城市の石油コンビナート火災による黒煙。
大津波に襲われた東部沿岸地域は、湖のように冠水し、中野小学校や荒浜小学校などにたくさんの児童や住民が取り残されました。仙台市消防ヘリコプターや自衛隊機による懸命の救助活動が続けられました。
〈中野小学校屋上の避難者〉
〈七北田川河口付近〉
〈避難所に駆けつけた市長〉
〈冠水した東部地域〉
14時46分。これまで経験したことのないような大きな揺れが東日本を襲う。
長い、長い揺れがようやくおさまると、市役所では屋外への避難指示が庁内放送でアナウンスされました。
市役所周辺や勾当台公園市民広場へ続々と集まって来る市民。
誰もが携帯電話で家族や会社に連絡をとろうとしますが、なかなかつながらず不安が募りました。
〈仙台市消防ヘリコプターから撮影〉
地震発生からおよそ1時間が経過したころ、未曾有の大津波が仙台市の東部沿岸地域に襲来。美しかった田園風景を一気に飲み込み、そこに暮らす人々の尊い命と平穏な日常を奪い去ってしまいました。
指定避難所となっている荒浜小学校(若林区荒浜)に避難してきた地域の住民と児童・教員は、校舎の屋上と上層階の教室に避難して難を逃れました。
津波は、南蒲生浄化センター(宮城野区蒲生)にも押し寄せましたが、職員など101名は4階建て建物の屋上に避難し、全員無事でした。
発災直後、市長を本部長とする災害対策本部を青葉区役所庁舎に開設。
16時00分、第1回災害対策本部員会議を開催。
停電、電話回線の錯綜、庁内ネットワークのサーバーダウン等により、被害状況の情報収集は困難を極めました。
15時50分頃、若林区藤塚付近を襲う大津波の空撮映像がテレビに映し出されると、その絶望的な自然の猛威に災害対策本部職員は言葉を失いました。
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