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更新日:2025年1月14日

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災害時の体験談(ご本人・ご家族)Dさん

Dさん・20歳・宮城野区(聞き取りに応じていただいた方:家族(母))

  • 災害の種類:地震(東日本大震災)
  • 季節・天候:平成23年3月11日(曇り~雪)
  • 被災した場所:通所施設

<災害当時について>

  • 本人の年齢:20歳
  • お住まい:宮城野区
  • 医療的ケアの内容:気管切開・吸引・ネブライザー・経管栄養(胃ろう)
  • 家族構成:本人、父、母

〇要約

東日本大震災時、Dさんとその家族は、通所施設にいたDさんを迎えに行き、自宅に戻り、敷地内で車で過ごすことを選択しました。医療的ケアは車内で行い、薬や医療物品は予備を用意していました。災害後数日間は車で過ごし、その後、親戚の家に避難しました。電気が復旧した後自宅に戻りました。経験から、ガソリン、灯油、酸素ボンベ等の備蓄、車やバッグに必要な物品を一式入れておくこと、家族間での情報共有、地域との連携等の重要性を認識しました。

<発災時の被害状況>

  • 父:たまたま仕事が休みで家にいました。
  • 母:美容室でカラーリング後、髪を洗おうと洗髪台で横になった瞬間に揺れました。外に出たら、市営バスや電柱が揺れていました。

<発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか>

●発災直後~72時間(3日後)までの状況

  • 地震後、本人は通所施設にいたのでまずは大丈夫と思い、母はカラー剤も流さずそのまま帰宅しました。
  • 自宅はプロパンガスだったためガスの使用は可能で、水道も止まっていなかったため、まずは急いで髪を洗いカラー剤を流しました。
  • その後、自宅にいた父はそのまま自宅に残り母が本人を迎えに通所施設へ行きました。
  • 本人を引き取り、帰りにスーパーに寄り電池や懐中電灯を買いました(商品は表の方に出ており、また、レジが動かなかったため入口で電卓で計算して売っていました)。
  • 父より「津波が来たから帰宅不可」と連絡がありました。その後しばらくスーパーの駐車場で車で待機しました。避難所も考えましたが、寒いし人が多いと思い、車にいる方が良いと判断しました。水が引いたので20時30分頃に自宅に戻ることができました。
  • その後は自宅で過ごすことも考えましたが、また津波警報等逃げなければならない状況になるかもしれないと考えた時に、本人を自宅から車に移すことを考えると、車の中で過ごした方が移動の負担もないと思い、そのまま自宅敷地内の車の中で過ごしました。
  • 翌日からは、本人は車で過ごし、家族は明るい時間に自宅でご飯を食べたりトイレを使用したりして過ごしました。数日の間に何回かサイレンが鳴り、車で安全な場所に移動したりしました。
  • 医療的ケア(吸引など)も車で実施しました。
  • 日中は日差しがあったため、車内は暖かく心地よく過ごせましたが、夜から朝にかけては下からの冷えを感じました。
  • 数日後にはガス屋さんが点検に来てくれ、ガスの残量が十分あるので心配ないと教えてくれたので、とても安心しました。

●72時間(3日後)~1週間程度の状況

  • 自宅敷地内の車で過ごしていることを知り、4~5日後くらいに、近所の人が心配してくれ、避難所(学校)で保健室等に入れてくれるかもしれないと教えてくれたため、避難所である近所の小学校に行きました。そこで事情を説明したところ、職員より、避難所の衛生状態が悪いことなどの説明があり、今現在本人が元気で過ごせているなら、今のまま過ごした方が良いこと、もしくは医療機関などに相談したほうが良いと思われると言ってくれました。状況を判断してくれて適切なアドバイスをくれた職員に感謝しています。医療的ケア児のことが分かる職員がいてくれて良かったと思っています。
  • 車では6日間くらい過ごしました。その後、定期受診の日が近づき薬の残りがわずかになったため、かかりつけ医に電話したところ、診察はできませんでしたが、薬を処方してもらうことができました。そのまま、他区に住むいとこのところに行き、泊めてもらいました。そこでやっとテレビを見ることができました。その移動中、ほんの少ししか離れていない地域では皆普通に過ごしている様子があり、こんなにも状況が違うんだ、と思いました。
  • 車いす業者さんが電話をくれて灯油を持ってきてくれたりしました。

●1週間~1か月程度の状況

  • 3月20日か21日くらいに自宅に電気が戻ったため、他区のいとこ宅から自宅に戻りました。
  • その後は少しずつ日常に戻っていきました。

<事前の備え>

●ハザードマップ等で自宅の危険を確認していましたか?

  • いいえ

●自宅等で普段から準備していたもの、ことはありますか?

  • 医療的ケアの物品、栄養剤等、薬は1週間~10日くらい予備があるようにしていました。
  • 通所先の施設には3日分の薬などを常備していました。

<振り返ってみて>

●災害を経験したことで新たにしている準備や対策はありますか?

  • 被災当時と現在では本人の医療的ケアも変わっているので、今だと酸素ボンベも必要になります。車にはガソリンも十分に入れておくようにしています。灯油なども必要です。
  • 車に一式予備の物品を入れています(医療物品だけでなく水等も)。またバッグに薬等も含めワンセットにしておくことで、災害時にまずこれだけは持っていく、と決めておくと良いです。車にはカイロ、毛布、ブルーシートなども入れています。

●備えをしていて良かったことや反対にこれは不要だと思ったこと

  • 普段から、車に乗せるときは、シートを倒し横になった状態で乗るようにセットしていました(福祉車両等で車いすごと座ったまま乗るものでは本人にとっては痰がらみが増えるため)。
  • 震災時にも同様の状況で車中で過ごすことができたので、本人も普段からの環境であったため負担も少なかったのかもしれません。

●その他、災害時、どんな人のどんな支援が助かった・こういう支援が欲しかった等

  • 避難所である学校に相談した時に、きちんと状況を判断し、寄り添って助言してくれた避難所職員にはとても感謝しています。

★災害を経験していない方に伝えたいこと★

  • 「本人の命を守るために絶対に必要な物(薬・栄養剤・医療物品・オムツなど)」を普段から準備しておくと良いです(自宅で被災するとは限らないので、車の中やバッグにも)。準備するときは水害にも備え、ジッパーつきのビニール袋に入れておくと、より安心です。家族の中でも共有しておくことが大事です(このバッグは必ず持っていく!等)
  • 足踏み吸引器等準備はしても、準備したことで安心し、しまいっぱなしにすることなく、使ってみることが大事です。
  • 母同士のネットワークが大事です。「つながる」ことがとても大切です。普段から地域の人に状況を話しておく等、現状を外に伝えていく、自分たちで発信していくこともとても大事です。地域の学校とも普段から情報をやりとりしておくのも良いと思います。
  • 避難所=安心して過ごせる場所、とは限りません。他の場所に移動することが本人の負担になることもあるので、自宅で過ごす選択もあります。状況はそれぞれ違うので、本人がより安心して過ごせる環境を考えることが大切です。

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