Aさん・19歳・泉区(聞き取りに応じていただいた方:家族)
- 災害の種類:地震(東日本大震災)
- 季節・天候:平成23年3月11日(曇り~雪)
- 被災した場所:通所施設
<災害当時について>
- お住まい:泉区
- 本人の年齢:19歳
- 医療的ケアの内容:吸引・経管栄養(胃ろう)
- 家族構成:本人、両親(40代)、妹(19歳)、妹(6歳)
- 家庭の状況:家族は健康で本人の他に介護を要する家族はいない。父の実家は県外(東北)、母の実家は県内。母の実家からの支援は受けやすい。
〇要約
東日本大震災時、Aさんの家族は周囲の協力により困難を乗り越えた。発災時、Aさんは施設で預かってもらえ、家族は各々の安全を確保した。電気は翌日に復旧し、飲用水とトイレ用水は確保していたが、経管栄養容器消毒用の水が不足し、アーチルから供給を受けた。家族は車のガソリンを常時半分以上保つようにし、モバイルバッテリーを複数準備するようになった。災害時の経験から、家族は人的ネットワークの重要性、情報発信の必要性、避難場所の確保、信頼できる薬局の存在、そして家族が本人に守られていることを学んだ。
<発災時の被害状況>
- 自宅の電気・水道・ガスが全て止まってしまったため、情報は車のテレビから得ていた。
<発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?>
●発災直後~72時間(3日後)までの状況
- 発災時、本人は通所施設。父は仕事。上の妹は学校。下の妹は保育園。母は本人を迎えに行く途中だった。車(2,500cc)が何度もジャンプした。施設手前の橋は30cm程度ズレて段差が生じており、車で乗り越えられる高さではなかった。橋の上には10台の車が取り残されていた。立ち往生しているときに、上の妹から母に「迎えに来て欲しい」と連絡があり、いったん上の妹をピックアップし、その後、下の妹を保育園に迎えに行き自宅に戻った。その後、再度本人を通所施設に迎えに行こうとしたが、信号が消えて大渋滞で車が動かせず、やむを得ず自宅に戻ったところ、通所施設から連絡がきて「本人は本日通所施設で預かる」と提案された。次の日、橋を通らないよう迂回して本人を迎えに行った。
- 自宅に被害がなかったため避難する必要がなかった。もし、本人と避難することになった場合、吸引器、吸入器、胃ろうケアのためのグッズ、オムツなど必要な物品が多く、移動が大変だと思われる。
- 当時15名のヘルパーが入っていた。8名のヘルパーからそれぞれ安否確認が入った。
- はじめは水道から薄茶色の濁った水が出たので、浴槽等にできるだけためた。
●72時間(3日後)~1週間程度の状況
- 電気は次の日の17時頃に回復した。
- 3日目、飲み水とトイレ用は確保してあったが、経管栄養容器消毒用の水が不足した。アーチルから安否確認の連絡が来たので消毒用水の不足を伝え、水を運んでもらった。その後、すぐに断水は復旧。
- 家族は、本人用のオムツに排泄し吸水シート(ペット用シート)で包むとにおいは全くしなかった。
- 本人の食事は経腸栄養剤。いつもお願いしていた調剤薬局から「経腸栄養剤は大丈夫ですか?必要なら在庫を優先してストックしておきますよ」と連絡をもらった。経腸栄養剤の工場は津波で流されていたが、代替として流動食用の他の商品も優先して確保してくれるという話があった。
<事前の備え>
●ハザードマップ等で自宅での危険を確認していましたか?
●自宅等で普段から準備していたもの、ことはありますか?
- 医療的ケアに関すること…本人の医療的ケア用品、オムツ、経腸栄養剤、消毒液(ミルトン・アルコール)、ビニール袋、ラップ、マスク、トイレットペーパーとティッシュは大量に用意していた。
- その他…災害用保温シート、飲用水、カセットコンロ、常温で長期保存できるゼリー、お菓子、ジュース、父の会社から配給された保存食。
●支援者や地域の人と準備していたことはありますか?
- 普段から支援者との関係性は良好。ヘルパー、民生児童委員、近所の薬局(医療的ケア物品購入薬局)等からの声掛け(支援の申し出)はありがたかった。
- 別居の祖父母も被災していたが、車でかけつけてくれて、石油ストーブ、果物、水を届けてくれた。祖父は町内会長をしていたので、すぐに帰らなくてはならなかったが、来たときに本人を抱きしめてくれた。
<振り返ってみて>
●災害を経験したことで新たにしている準備や対策はありますか?
- 車のガソリンは常時半分以上入っているようにした。
- モバイルバッテリーを複数準備し、ラジオを2台購入。
- 飲料水の宅配を契約。
- 定期的にレトルト食品を入れ替えるようになった。
●備えをしていて良かったことや反対にこれは不要だと思ったこと
- 本人用のオムツや吸水シーツ(体の下に敷いたり、流延用に使用していたもの)が、他家族の役に立った。本人がいなかったらオムツや吸水シーツはなかった。
●その他、災害時、どんな人のどんな支援が助かった・こういう支援が欲しかった等
- 発災時、本人を通所施設で預かってもらえたことが助かった。「本人は泊めるので妹たちの世話をして」と言われたのが一番ありがたかった。夜も余震が続いていたが、職員さんが本人に添い寝してくれて、何の心配もなく過ごさせていただいた。
- 経腸栄養剤が缶でなく点滴パックのような形態(使い捨て)だとイルリガートルが不要なので消毒不要となり便利だと思う。
- いろいろな方に声掛けしてもらって大変ありがたかったが、支援者同士(ヘルパー、調剤薬局、病院、民生委員、行政)がみんな個々だからつながらない。そこの連携がしっかりすればもう少し、皆さんの仕事が減るのではないかと思った。また、それぞれがつながることで力を発揮できるのではないかと思った。
★災害を経験していない方に伝えたいこと★
- 「たすけて」と言える人になりましょう。ひとりだけで頑張らず、誰かに「たすけて」と言えることで、困り事は早く解決します。
- 普段の人的ネットワークの大切さを伝えたい。親同士のネットワークがあってその上での行政の支援だろう。親同士のネットワークを持っていることで安心できるし、災害時必要な物資、機材を臨機に融通し合うこともできる。人的ネットワークを作るよう行政もネットワーク構築への働きかけをしてもらえることが大切。さらに相談の窓口が明確になっていると良い。
- 情報発信:災害時は情報不足で不安を抱えてしまうので、情報が入ってくることが何より重要。必要な情報発信をしてくれる行政の対応が親にとってはとても役立つ。
- 移動手段(避難の際)の確保や自宅にいられない時の避難場所をいろいろなパターンで考えておくとよい。普段からの話し合い(家族や所属施設など)が大切。
- 信頼できる薬局(本人の医療的ケア物品取り扱い)
- 高等部卒業時に作成したサポ-トファイル・アイル(※)は役に立っている。お薬等変わった時はそこだけ入れ替えればよい。
(※サポートファイル・アイル:お子さんの成長等を記録したり、相談機関等で作成した資料などを挟んでおくことで、関わる人にお子さんのことをよりよく理解してもらうためのファイル)
- 本人を守っているつもりだったが、実は家族が本人に守られていることを震災で知った。
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