Hさん・相談支援事業所・相談支援専門員
- 聞き取り日:2023年12月7日
- 災害の種類:地震(東日本大震災)
- 季節・天候:曇り~雪
- 被災した時間:14時46分
<被災当時について>
- 施設の種類:相談支援事業所
- 医療的ケア者数:3~4名くらい(下が20代、上が60代)
- ケア種別:人工呼吸器・気管切開・酸素療法・吸引・ネブライザー・経管栄養(胃ろう)
- 職員状況:相談支援事業所としては全部で4名
(正職員の相談支援専門員2名、常勤嘱託の相談支援専門員が1名と相談員が1名)障害者福祉センターとしては、全体統括の所長が1名
【自立訓練「市の委託事業」】正職員3名、事務員1名、嘱託5名、派遣のドライバー1名
【生活介護「市の委託事業」】正職員4名、パート2名
【公募による運営場所の提供】(おそらく)正職員3名、嘱託2名
〇要約
東日本大震災時、医療的ケアを必要とする利用者は、電源の見通しに合わせて医療機関に入院し、ほとんどは救急車で運ばれた。福祉避難所のスタッフとして動きながら、安否確認の訪問や様子伺いの電話連絡を行った。入院後の医療的ケア利用者の退院調整を病院と連携して行った。災害を経験したことで、安否確認リストの定期的な見直しや関係機関との連携について改めて考えるようになった。
<発災時施設に利用者などはいましたか>
- 自立訓練2~3名、生活介護6名うち医療的ケアのある方は0名
※その他に貸館事業の利用者もあり、10名を超える程度の貸館利用団体の参加者が所内におり、避難誘導をしていた。
<発災時の状況・どのタイミングでどのように動きましたか?>
●発災直後~72時間(3日後)までの状況
- 発災時、嘱託職員の1名が東京出張中で2名が外出中。
- 事務室には所長と2名のみであった。各事業にはそれぞれ職員がおり支援中。
- 地震の揺れが収まった後、館内の避難誘導を行う。
- 貸館の利用者は各々自力で帰宅し、各事業の利用者はそれぞれの職員が対応しており、被災後1時間後くらいでほぼ全利用者の家族と連絡がつき、送迎車で各自を送り始める。翌日まで生活介護の1名だけが連絡がつかなかったため、職員と避難所で一晩過ごすこととなる。
- その後、比較的早く外出中の2名が戻り、東京出張中の職員とは電話で連絡がついたため、相談員の安否確認は比較的早く終了した。
- センターが福祉避難所になる場所であったため、開設の準備の手伝いがあり、通常の相談事業としての機能は一旦停止していた。そのため、当日に利用者の安否確認は行えなかった。※医療的ケアのある利用者などは他サービスが入っている方であった。
- 翌日から利用者の安否確認を行うが、他のサービスに繋がっている方は事業所に確認を行う形で実施。
- 医療的ケアのある利用者については電気が無いということで、バッテリーがもつかどうかが入院になるかどうかの一つのラインであった。なので、今思うとバッテリーが大丈夫なら入院できなかった可能性もあり、病院が在宅での緊急度を勘案して入院の可否を判断してくれていたと思われる。
- 今は個人で発電機やソーラーパネルなどを準備しているので、震災時よりはすぐに入院になる方は少ないかもしれない。
- 電源の見通しに合わせて、医療機関にみなさん入院されていったが、全員かかりつけの病院ではないが受け入れてもらった。入院の調整については、往診が行ってくれており、往診が入っていない場合は家族が病院と調整を行っていた。
- 概ね翌日には皆さん入院されていたが、2~3日後に入院された医療的ケアの方もいらっしゃった。バッテリーをどのようにもたせていたのかは分からないが、車などから電源をとっていたものと思われる。
- 入院手段としては、自力で行くか救急車かしかないが、ほとんど救急車が来てくれて入院されている。
- 相談員の動きとしては、安否確認のほかに福祉避難所のスタッフとしての動きも求められたため、夜勤なども行った。
- 福祉避難所スタッフとしての動きをしながら、安否確認の訪問や様子伺いの電話連絡を行っていた。
●72時間(3日後)~1週間程度の状況
- 相談員の動きとしては、3日目以降も、福祉避難所のスタッフとしての動きも求められたため夜勤なども行う必要もあり、福祉避難所のスタッフとしての動きをしながら、安否確認の訪問や様子伺いの電話連絡などの相談員としての業務を行っていた。
- 医療的ケアのある方は入院された後であるため、業務としては通常の相談業務というよりは話し相手としてのやり取りが多かった。
●1週間~1か月程度の状況
- センターとしては福祉避難所を4月末まで続けていたが、相談事業としては3月末、2週間後くらいから通常業務に戻そうという流れとなり、職員4名中3名が通常業務に戻っている。
- 通常業務のほかに、福祉避難所に避難されていた方のサービス調整や住環境についての調整や、市から直接依頼があり県外避難していた医療的ケアのある方のサービス調整を行っている。
- 福祉避難所に来た方は、生活全体を立て直さなければ戻せなかったので、医療や福祉サービス以外にも町内会などの地域の方とのやり取りも必要であった。
- また、母子の医療的ケアのある方も福祉避難所に来たが、来た当初はすべてのケアを母が担っており、不安や疲労、緊張感からか表情がすごく硬かったが、センターは看護師2名も避難所スタッフとしてケアにあたっており、看護師がケアを手伝うことで次第に母の表情が和らいでいった。
- 通常の相談業務の中では、入院されていた医療的ケアのある方の退院調整を病院と連携して行っている。
●1か月以降~(3か月くらいまで)
- ゴールデンウィークあたりから、相談事業所としての通常業務に戻っている。
<事前の備え>
●ハザードマップ等で施設の危険を確認していましたか?
●施設等で普段から準備していたもの、ことはありますか?
- 安否確認リストは準備していた。一人暮らしの方や高齢の家族がケアしているなど。
●医療的ケア児者及びご家族、他の支援者、地域の方等と普段から準備していたこと
- 支援者とは普段の相談としてのやり取りの中でなんとなく話していたところはあったが、明確ではない。
- 地域の方とは全くそういった話はしていなかったので、もっとコミュニケーションをとっておけば良かった、大事だったなと思う。
<振り返ってみて>
●災害を経験したことで新たにしている準備や対策はありますか?
- 準備や対策などの部分で意識として変わったところはある。
●関係機関との連携の中で、助かったことや困ったことはありますか?
- 上記の影響を踏まえて、安否確認リストの定期的な見直しや関係機関との連携について改めて考えながらやっている。
- 通常の支援が出来なかったが、関わっている人が多ければ何かしらの支援が入ることに繋がった。
- 水害などの場合は、近所のネットワークが大切だと感じた。
- 平時のケアが受けられない場合は謝るしかなかった。
- 福祉避難所としては、隣が病院ということで服薬の処方などで助かった部分はあった。
★災害を経験していない方に伝えたいこと★
- 想定外はあるという前提で、準備をしていて悪いことは無い。ハイリスクのケース(医療デバイスが多い方、自宅で受け入れができない方など)を中心とした検討をしていくことが必要。
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